とらドラ! #1〜#10

不思議である。
ここ数日はとらドラ!漬けだった。一冊平均だいたい250p、それが(外伝を除き)全10巻で2500p。先ず以て自分がこんなに長い文章、それもfiction小説を読みきった事に驚いた。
ことの始まりは今週の月曜、部屋の本棚の肥やしと化していた、自分が書店で手にとって買った記憶も判然としない一巻を、何の気なしに手にとったところから。
それが肥やしと化していたということは詰まり、当時のおれに「つまんねえ」と放られた事を意味する。にも関わらず何ヶ月後のおれがもう一度手に取り、しかも今度は「面白い!!!!!」とのめりこんでしまうのだから、同じ人間がこうも180度変わってしまうものかねと、おれは自分で自分が不思議で仕方がない。
ともあれ、おれはとらドラ!ライトノベルに入門した。
でせっかく2500pも読んだんだし、何か感想をと思って、こうブログのコンソール画面を開いているんだけど、特に何も出てこない。あるのは読了の心地よい達成感と、竜児・大河を祝う穏やかな気持ちだけ。まあそれで十分という気持ちも一方であるが、余りにぼんやりしているんじゃないか。
これは「面白い!!!!!」「もっと先を!!!!!」という欲望・欲求に忠実に行動し過ぎたのが原因ではないだろうか。一気飲みのしすぎ。
人は何かを面白がろうとするとき、もちろんクール過ぎては始まらないのだが、ホット過ぎについても、そうであればある程良いとはならないと思うのだ。箸が転んでもおかしいというやつで、これは単なるバカだ。
せっかく大好きな作品に巡り合えたんだし(一回は見捨てたが)、ちょっと復習してみよう。
現代日本・男女共学・公立高校・二年C組に主要登場人物は属する。描かれる期間は二年の新学期から三年の新学期までちょうど一年間。一連の学校行事・学校生活を通じて高須竜児と逢坂大河の奇妙な共闘関係を原点とした北村祐作・櫛枝実乃梨川嶋亜美らクラスメイトの交流は深まっていく。
やがて、竜児・大河の関係の奇妙さが小さい傷となって、全体に亀裂を走らせる。
注意したいのは、両氏の共闘関係は亀裂の発端であって原因(=諸悪の根源)ではない点だ。本作には彼・彼女らの不幸を企む悪役がいない。むしろ、彼・彼女らが主体的に考えた最善の判断・選択が積み重なって、願わぬ方向へ勝手に進んでいくのだ。なぜか?
第一に人は他人の気持ちについて分からないから。第二人に人は自分の気持ちが分からないから。第三に人は自分の気持ちと裏腹な行動に出るから。
そうした手探りの不完全な言葉・行動に命運を託すのがコミュニケーションであり、この無根拠な決断だけが物語を先に進められるのだ。よって、必ず読み誤り、失敗する。
では失敗は、亀裂はいかに解決されるか。
これも、彼・彼女らの判断・選択によってである。本作には糸がもつれ絡まる様子を全て天から見ていたかのように、見事に解きほぐす超人がいない。頼れる親がいない。頼れる担任教師がいない。大人はわずかに長く生きた経験から、子供に小さなアドバイスを与えるだけの存在に過ぎない。子供は小さな大人であり、大人は大きな子供なのだ。
「いない」からこそ尊く、感動的なのだと思う。暗中模索の判断・選択の奇跡は。それがfictionalなものであっても、やっぱり感動的なモンは感動的なのだ。